2007年 06月 11日
口縄坂の猫
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『口縄坂(くちなはざか)は寒々と木が枯れて、白い風が走っている。
私は石段を降りて行きながら、もうこの坂を登り降りすることも当分あるまいと思った。』
織田作之助が亡くなる4年ほど前に書いた『木の都』の一節が刻まれている文学碑のある口縄坂。
この地で幼少期を送った織田作之助は、この坂の上から西の空が赤く染まっていく夕陽を幾度ともなく眺めたことでしょう。
(西の空が夕陽に染まる口縄坂、石段で猫が迎えてくれた 6月10日午後6時45分)
私の散歩コースでもあるこの口縄坂には、いつも沢山の猫たちがいます。
5月21日のブログでも紹介しましたように、カメラを向けてもものおじせず、とても人に馴れています。
きょう激しく雨が降った後、太陽が出たので夕焼けを期待して坂にやってきました。
案の定、食事前の猫たちが石段で出迎えてくれました。
ここの猫たちの食事の世話は、近所のおばさんがみています。調度食事の時間で、おばさんと会うことが出来ました。
(5月21日に出会った頃はまるまるとした体つきだった)
そこでショッキングな話を聞いてしまいました。
「猫たちが病気」だと言うことです。ウイルス性の病気で、おばさんの所で飼う猫も立て続けに5匹亡くなったそうです。
5月21日のブログに載せた写真の猫が、すっかり痩せこけていました。
「この子は、かなり体力が衰えてだめかもしれない」とおばさんが、その子の頭を撫でながら言いました。
死期が近づいているかもしれないけれど、けなげに餌を食べる姿が、これまで8匹を送った私の猫たちの姿と重なり合って見えました。
一日でも長く生きていて欲しいと願いながら、すっかり夕陽が沈んだ口縄坂を後にしました。
また来るね。
(痩せこけた顔で寂しげに私を見つめる 6月10日午後7時)
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私は石段を降りて行きながら、もうこの坂を登り降りすることも当分あるまいと思った。』
織田作之助が亡くなる4年ほど前に書いた『木の都』の一節が刻まれている文学碑のある口縄坂。
この地で幼少期を送った織田作之助は、この坂の上から西の空が赤く染まっていく夕陽を幾度ともなく眺めたことでしょう。
(西の空が夕陽に染まる口縄坂、石段で猫が迎えてくれた 6月10日午後6時45分)
私の散歩コースでもあるこの口縄坂には、いつも沢山の猫たちがいます。
5月21日のブログでも紹介しましたように、カメラを向けてもものおじせず、とても人に馴れています。
きょう激しく雨が降った後、太陽が出たので夕焼けを期待して坂にやってきました。
案の定、食事前の猫たちが石段で出迎えてくれました。
ここの猫たちの食事の世話は、近所のおばさんがみています。調度食事の時間で、おばさんと会うことが出来ました。
(5月21日に出会った頃はまるまるとした体つきだった)
そこでショッキングな話を聞いてしまいました。
「猫たちが病気」だと言うことです。ウイルス性の病気で、おばさんの所で飼う猫も立て続けに5匹亡くなったそうです。
5月21日のブログに載せた写真の猫が、すっかり痩せこけていました。
「この子は、かなり体力が衰えてだめかもしれない」とおばさんが、その子の頭を撫でながら言いました。
死期が近づいているかもしれないけれど、けなげに餌を食べる姿が、これまで8匹を送った私の猫たちの姿と重なり合って見えました。
一日でも長く生きていて欲しいと願いながら、すっかり夕陽が沈んだ口縄坂を後にしました。
また来るね。
(痩せこけた顔で寂しげに私を見つめる 6月10日午後7時)
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by photomm513
| 2007-06-11 16:54
| 口縄坂のねこ